みやこ七福神マイラー

 この週末は大学時代の友人と新年会を行うために、東京から遠路はるばる京都へ上洛しておりました。その前後の空き時間を無為に過ごすも勿体無いと思って、散歩ついでに正月らしく「都七福神めぐり」へ出掛け、参拝の証を集めてきました。

 「正月太りしたから必死に歩いてるんだろ」などと不躾な言葉を吐く輩は御霊の力を借りて末代まで祟りますからね。

七福神について

 「都七福神」を紹介する前にまず「七福神」はご存知ですよね。お正月によく見掛ける縁起の良い七柱の福の神(恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋)の総称です。ちなみに七福神信仰は飽くまでも民間信仰に端を発するものですから、七柱の選定に統一性はありません。現にインド神話道教の神、果ては実在の仏僧までバラバラの構成になっています。

 「七福神信仰」の起源は室町時代末期の京都だと言われています。応仁の乱などの戦で疲弊した京の民から福の神信仰が起こり、次第にその数が七柱に至って、七福神信仰が生まれたようです。この頃はまだ「信仰」の形式であり、具体的に縁ある寺社を参拝して周る「巡拝」の形式ではありません。

 「七福神めぐり」の隆盛は江戸時代になってからだそうです。徳川三代の側近であり江戸の都市計画にも深く関わった天海僧正七福神めぐりを奨励したことで、江戸の民の間で七福神に縁のある寺社を参拝して周る「七福神めぐり」が流行したようです。江戸の寺社は計画的に設置されていますから、七福神との紐付けもバッチリ行われていたのでしょう。 江戸で隆盛した「七福神めぐり」が飛び火し、京都でも寺社と七福神との紐付けが行われ、その最古のものが「都七福神めぐり」だったということです。

都七福神めぐりへ

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 前置きが長くなりました。今回の上洛では、上述の経緯で生まれた「都七福神めぐり」に出掛けました。この巡拝のゴールは、都七福神専用の大型色紙に1社寺につき1つ御朱印を授受し、色紙を完成させることです。色紙は1500円、御朱印は300円を納めるといただけます。

 さて、今回は2日間掛けて下記の「都七福神」に紐付けされた京都の寺社を巡拝しました。

一柱目、福禄寿(道教)―赤山禅院左京区

ニ柱目、大黒天(インド神話)―妙円寺左京区

三柱目、毘沙門天インド神話)―東寺毘沙門堂(南区)

四柱目、布袋(中国の禅僧)―萬福寺宇治市

五柱目、弁財天(インド神話)―六波羅蜜寺東山区

六柱目、えびす(日本神話)―京都ゑびす神社東山区

七柱目、寿老人(道教)―行願寺(中京区)


 ちなみに福禄寿(赤山禅院)から参拝したのは、今年地元の由加宮で引いた「七福神みくじ」で、福禄寿を引いたのが理由です。福禄寿には金運のご利益はありませんが、意味もなく財布に福禄寿を入れていたりします。 
 都七福神めぐりの途中、ぶらりと立ち寄った寺社や遭遇したイベントについてなど書きたいことは山々あるのですが、本筋から脱線してしまうので省略いたします。また機会があれば何かのついでにでも書いて鬱憤を晴らしましょう。

都七福神御朱印色紙(完成)

 いやはや完成させてみると、思いを言葉にせず飲み込んでしまいたいくらい壮観に見えますね。時間と労力を掛けた感慨も極まって、気持ちのいい達成感を得ました。なんたって凍える寒さの京都を、2日間で30km以上歩いたんですからそれもそのはずです。(と言いつつ完成品は祖母にあげてしまったのですが)

 そういう訳で、東京の自宅用にはまた東京の七福神を巡拝して、その証を得るつもりです。具体的には東京最古の七福神めぐりとされている「谷中七福神めぐり」が有力候補ですね。主な巡拝先が不忍池の周囲なら、湯島の我が家からは程なく近くて好都合です。


 また来年2013年の今ごろも、今年と同じように七福神めぐりに出掛けられますように。


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