銀と金

http://www.nhk.or.jp/wonder/program/46/index.html


さきほど、20時より放送されていたNHK銀閣寺特集を観ました。
今回はその特集を踏まえて、金閣寺銀閣寺を比較しながらその魅力を紹介します。


金閣寺銀閣

京都の観光地と言えば、まず挙げられるのが「金閣寺」と「銀閣寺」。
関西圏外の出身者ならば、修学旅行にて銀閣寺はともかく、金閣寺を訪れた方は多いでしょう。若い人に金閣寺が好まれやすいのは、金閣寺はその名の通り金箔が貼られているのに対し、銀閣寺には銀箔が貼られていないから。彼らは銀閣寺に落胆してしまう。一方きらびやか金閣寺の魅力は非常にわかりやすい。しかし歳を重ねれば、銀閣寺の垣や庭園の侘び寂びを感じ、目に見えない情緒が非常に魅力的であることに気付く。一方の金閣寺にはケバケバしさを感じてしまう。


これが金閣寺銀閣寺を見た者の辿るセオリーです。
しかし自分は金閣寺を擁護したい。金閣寺だって外面だけでなく内面の魅力を持っています。

それは後々語るとして、まず金閣寺銀閣寺について整理しておきましょう。


金閣寺室町幕府3代将軍足利義満により建立された「鹿苑寺(ろくおんじ)」の通称。
銀閣寺:室町幕府8代将軍足利義政により建立された「慈照寺(じしょうじ)」の通称。


恐らく、広く一般に知られているのはここまでだと思います。
ちなみに鹿苑寺慈照寺も、同志社大学今出川キャンパスの横にある臨済宗相国寺の境外塔頭です。塔頭というのは会社組織で言う「子会社」のようなモノだと思って下さい。
また、以後「金閣寺」「銀閣寺」と「金閣」「銀閣」の定義を明確に区別します。


金閣金閣寺鹿苑寺)の境内に建立された「舎利殿(しゃりでん)」を指す。
銀閣銀閣寺(慈照寺)の境内に建立された「観音殿(かんのんでん)」を指す。


それでは金閣銀閣の“内面”の魅力について、まずは放送された銀閣特集より知識を拝借します。

足利義政銀閣から何を見たか

銀閣の正面に位置する山は「月待山(つきまちやま)」と呼ばれ、銀閣の建立当時はその山上から「月」がその姿を覗かせていた。足利義満はその月を銀閣の内部より眺めていたという。しかし月待山に見える月は、銀閣の内部からではほんの短い間しか眺める事ができない。そこで足利義政は月を直接見るのではなく、正面の「錦鏡池(きんきょうち)」に反射させる事を思い付いた。反射した月はちょうど銀閣の第一層から眺める事ができ、池に浮かべられた石とピッタリ重なった。第一層から見えなくなれば、今度は第二層からその続きを眺めた。第二層からも見えなくなれば、別錬に移動して月を眺め続けた。


戦争においては無能、伝統文化においては異能とされた足利義政は、月を眺めた。

足利義満金閣から何を見たか

二層構造の銀閣に対し、金閣は三層構造で造られている。


第一層は「寝殿造(しんでんづくり)」、平安時代の公家住宅の造り。
第二層は「書院造(しょいんづくり)」、鎌倉時代武家住宅の造り。
第三層は「禅宗様(ぜんしゅうよう)」、室町時代の、足利の時代の造り。


つまり、公家よりも武家よりも上に位置する“足利家の天下”を象徴している。しかし義満は驕っていなかった(と見せかけた)。第三層より更に上、金閣の屋根には「黄金の鳳凰像」を起き、自身が最上ではないとした。

そして、足利義満金閣から何を見たか。金閣の正面に位置する「鏡湖池(きょうこち)」には、複数の島がある。その一つが「葦原島(あしわらじま)」で、日本列島を表している。そう、足利義満金閣の第三層から日本を見下ろしていた。それだけではなく、視点を上げれば境内の林の隙間より、京の都を一望することが出来る。足利義満は日本列島と同時に、京の都をも見下ろしていた。
その他にも、誇大に見せる為に遠近法が使われていたり、極楽浄土を目指す舟と川を模した庭園が造られていたりなど、金閣には境内全体で「権威を見せつける」工夫が施されています。


南北朝を統一し、幕府の権力を確立させた足利義満は、日本を見下ろした。


浮世離れした義政と権威に固執した義満

こうして見ると、銀閣金閣には外面の魅力以外にも内面の魅力が存在します。同じ足利将軍といえども見るものが対照的ですね。
もし今度、金閣寺銀閣寺を訪れることがあれば、建物の中に入ったつもりで2人の足利将軍が上層から眺めた景色を想像してみてください。


今回は以上です。それではまた。