卒業旅行9,10日目(イタリア・フィレンツェ)

ぶぅおなせって…zzz


ここ2日間は大好きなフィレンツェに滞在していました。何が好きかって、建物の配色や造りに統一感があって景観が良く、散歩するだけでも目の保養になること。それと、たくさんのお店で売られている手工芸品のバリエーションが豊富で、長らく買い物を楽しめることですね。


街を歩いていると頻繁に日本人を見かけます。道々のお店の人たちも日本人向けに商売する気が満々です。それだけ日本人の感性に合う街なのか、加えて映画『冷静と情熱のあいだ』の影響も大きいのかな。


ルネサンスが開花した芸術の街でありメディチ家が支えた街でもありますが、芸術にも歴史にも疎い自分では、その辺りを十分に楽しむのは難しいです。とは言え、アカデミア美術館所蔵、ミケランジェロ作のダヴィデ像は自分でも感想を持ち得るほど楽しめます。あれだけは格別というか何というか。


初日の訪問は上記のダヴィデ像を所蔵するアカデミア美術館と、高さ90mを誇るサンタマリアデルフィオーレ大聖堂のクーポラ、アルノ川を跨いだヴェッキオ橋を渡った先にあり、フィレンツェの街並みを一望できるミケランジェロ広場(昼と夜)。翌日はほとんどが買い物で、夕方にはウフィツィ美術館を訪れました。


これまでの街のようにギチギチのスケジュールでの観光はしませんでした。この街の観光は余裕を持って行いたいのです。



前回の日記の直後、eurostarでフィレンツェに到着し、ホテルに宿泊した翌朝よりフィレンツェ滞在の初日が始まります。


まずはサンタマリアデルフィオーレ(花の聖母)大聖堂のクーポラですね。クーポラとは丸天井を意味しますが、今回の場合は聖堂に付属するクーポラのある塔を指します。地上90mのクーポラまで歩いて登れば、ここからフィレンツェの街並みの全方位を眺めることができます。登り切った達成感と合間って余計に感激します。


もう一箇所、街並みを眺めることができるのは、街の南側にあるミケランジェロ広場です。先ほどのクーポラより南、アルノ川に架かるヴェッキオ橋を越えた先の坂道を登ると、ミケランジェロ広場にたどり着きます。ここからはフィレンツェの街並みと、その手前を流れるアルノ川を一望できます。ここからの景色は昼に見ても夜に見ても綺麗です。


アカデミア美術館ではミケランジェロ作のダヴィデ像を鑑賞しました。荒木飛呂彦先生がこのダヴィデ像とその手前にある石像からスタンド「ローリングストーンズ」の着想を得たと思うと感慨深いですね。

肝心のダヴィデ像は、4mもある巨大な彫刻であるにも関わらず細部まで緻密に掘られていて、浮き出ている血管や筋肉の起伏に肉体美を感じます。いや、巨大だからこそ緻密さが目立つのか。それにしても、1500年ごろに作られた肉体美を現代に生きる自分が見ても美しいと感じるのは不思議な感じがする。当時はいったいどんな評価を得たのだろうか。

ちなみに、このダヴィデ像が左手から肩にかけているのは石の入った袋なんですね。旧約聖書ダヴィデがゴリアテを倒したエピソードは知っていたけれども、その際の道具が石の入った袋で、遠心力を利用して倒したというのは初めて知った。


この日の買い物は、革製品のお店、仮面のお店、食べ物のお店を巡りました。革製品といえばサンタクローチェ教会の周辺が有名ですが、この時期には露店が並んでいなかったため、個別のお店を訪問して回りました。その際に同時にヴェネツィアのカルネヴァーレ用に仮面も見て回り、中央市場で食べ物も物色しました。ドライトマトが予想外に美味しいです。


翌朝は前日より目を付けていた革製の小銭入れを購入し、さらに仮面も物色。この街にはとにかく革製品が多いです。露店で自分好みの仮面を購入したので、カルネヴァーレの際に装着してみますね。それから中央市場でドライフルーツやクロスティーニを食べつつ、街の外周を散歩しました。イタリアのiTunesカードも記念に購入してみたり。

途中、藤田和日郎先生の『からくりサーカス』に登場する「最古の四人」のポストカードを見つけて喜んでいたのですが、在庫はアルレッキーノパンタローネ様、ドットーレだけで、コロンビーヌが売り切れだったのは残念です。ブリゲッラやカピタンもありました。


それから暫くして夕方にはウフィツィ美術館へ。ボッティチェリの「ヴィーナス
の誕生」「春」は有名ですね。特別な感慨は湧きませんでしたが。その他、この美術館の所蔵品は、宗教画でも特に聖母子や受胎告知の聖像に集中している様子。これらを描く芸術家を支援したメディチ家の方々はさぞ敬虔なカトリックだったのだろう。


しかしこうやって絵画を眺めていて、どうも自分からは苦手意識が拭えない。技法や伝統、製作当時の時代背景など絵画を理解するのに必要な前提知識が非常に多いように思えて、それを備えていない自分は何の感想も抱けないことが多い。そしてその前提知識をインプットする労力を負担に感じてしまう。

それならば、美術館よりも博物館のほうが自分には向いているのかもしれない。博物館に展示されているものなら、形状からある程度の用途や製作者の意図が読み取れ、理解に掛かる労力が少なくて済む。それでもおそらく10分の1も理解できていないのだろうけれど、決してゼロではない。いずれにせよ「いかにして観るか」は課題だ。


ところ変わって、夜はホテルのオーナーさんに頼んでディナーを作っていただきました。アンティパスト、プリモピアット、セコンダピアット、ドルチェのあるちゃんとしたディナーです。今回の旅行で食事費用の平均が3〜4ユーロ程度の自分たちには、この料理は至福のひと時でした。ごちそうさまでした。ここはいいホテルです。



明日からは水の都ヴェネツィアへ行きます。ジョジョではディアボロとの初の邂逅の場所で、世界的には街中が仮装した人々で賑わうカルネヴァーレで有名な街です。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』や天野こずえの『ARIA』を思い出す人もいるでしょう。楽しみです。


それでは再度、おやすみなさい。

卒業旅行6,7,8日目(イタリア・ローマ)

ぺるめっそ! めっそ!


フィレンツェ行き超特急(EuroStar)からぼんじょーるの。ぶっ殺すと心の中で思ったらその時スデに行動が終わっているととろです。ローマは一日にして回れず。ここ3日間はひたすら人ごみを掻き分けながらローマを歩き続けました。ジョジョ立ちだけ見たい人はコロッセオの項目までボラーレ・ヴィーア(飛んでいきな)!


ローマは様々な漫画や映画の聖地です。コロッセオジョジョグラディエーター、スペイン広場やバルベリーニ宮はローマの休日、カラカラ浴場はテルマエロマエ、サンピエトロ大聖堂は天使と悪魔、その他にもたくさんの聖地であろう文化財がゴロゴロしています。


聖地以外にも、エジプトから略奪したオベリスク象形文字カルトゥーシュが残っているものも)の数々(ローマには13本あったはず)、ミケランジェロの大作が描かれたシスティーナ礼拝堂など、見どころはたくさんあります。イタリア語訳の日本漫画専門店StarShopもあります。


これらのたくさんの文化財を観て回るには、ローマパスがあると非常に便利です。25ユーロでローマパスを買えば、ローマ市内の公共交通機関が3日間乗り放題になり、観光施設2箇所にも無料で入場できます。買ってよかったローマパス!(誰がローマ市の回し者だと)。そうは言っても街を何周かするくらいは歩いてます。


主な食事は、朝はホテル付帯のパンとジャムと本格的なカップッチーノ、昼は切り売りでお買い得なピッツァ、夜は同じくピッツァとスーパーで買うお菓子とジュースです。スーパーの食べ物にしても、日本にない変わったものがあって結構楽しめます。オリーブオイル味のポテチとピーチティが美味しかったです。



初日は大阪の西成区より治安の悪いサレルノからintercity(快速列車)に乗りローマテルミニ駅へ。intercityの内装がメローネの乗っていた客席にそっくりだったので、今度intercityに乗る時はメローネ座りもしてみたいね。


コロッセオでは闘技場の地下部分を眺めていました。ディスカバリーチャンネルの拷問と処刑の歴史によると、コロッセオ地下部分には奴隷による人力エレベーターが多数設置されており、運営側の指示により猛獣や戦車を昇降させることが可能だったそうです。剣闘士にとって全方位に敵出現の可能性はさぞ脅威だったことでしょう。


ここでのジョジョ立ちは説明するまでもなく超有名なディアボロの試練とナランチャの最期です。一応説明しておこう。ミミズのように這い上がってくる過去をバラバラにしようと覚悟しディアボロに入れ替わるドッピオ立ちと、死亡フラグを立てた直後に柵で串刺しにされるナランチャのポーズ(肉体はレクイエムによりジョルノと入れ替わり)です。心で理解してるよね。


ねこと魂が入れ替わりそうになった。


この日はトレヴィの泉、スペイン広場、ポポロ広場を経由してホテルに落ち着きました。トレヴィの泉でコイン2枚投げる奴(好きな人と結ばれる願掛け)はリア充。非リアは1枚(またローマに来たいな!)だろ常識的に考えて…。ちなみに3枚投げると嫌いな人と離別できます(京都の安井金比羅宮みたいですね)。



翌朝はカラカラ浴場へ行きました。ローマ帝国の大銭湯、いわゆるテルマエロマエ(ローマの風呂)です。とにかくこのローマの歴史的建造物は大規模。5,6階建ての高さでかつスーパー銭湯よりも大きいお風呂って。近くには気持ちよく汗を流せるカラカラスタジアムもあります。

この辺りを含めイタリアには松の木が多いんだけれど日本の松とは違い、背丈が非常に高く葉の位置が上方に集中している。なぜだろう。


昼からはひたすら散歩ですね。ローマの休日でアン王女が夜に抜け出したバルベリーニ宮に立ち寄り、国立パスタ博物館には何故か入れず、日曜限定の蚤の市ボルゲットメルカートはすぐに見終わり、ポポロ広場では誰がのライブが開催されていて抜け出すのにも小一時間掛かり一苦労。ヤク中のゴロツキがいそうなティベレ川を南下し、ようやくサンタンジェロ城に辿り着きました。


それからはティベレ川の向こう側、トラスティベレ地区をウロウロしたり、入場時間の過ぎたサンタマリアコスメディン教会の外から真実の口(これ海神トリトンを模したマンホールだったらしい)を撮影したり、スーパーで買い物をしたり。夜はホテルのお湯が出なくて大変でした。


そして今朝はバチカンへ。150体の聖人像に囲まれたサンピエトロ大聖堂の内部は派手すぎると批難されても納得できる豪華絢爛さ。ドデカイ像の数々と金の装飾が迫力満点です。おぬは懺悔室で告解することなど何一つと無い清らかな人間(棒)らしいですよ。


市内にあるヴァチカン美術館とその中にあるシスティーナ礼拝堂では、ミケランジェロが創世から最後の審判までを描いた大天井画と大壁画を観ました。ほとんどが平面部分に描かれているはずなのに、質感がリアルで本物のカーテンや壁の起伏と見間違えます。アダムの創造ってなんで神の側の布が脳みそっぽい形なんだろう。この絵の写真撮影は禁止です。

他の美術館では観なかった動物の像や、天動説が定説だった頃の天球図なんかもあって面白かった。ここでは初めて国際学生証で割引(6ユーロ引き)が効きました。


それからはイタリア語訳された日本漫画の専門店StarShopや、おぬの希望によりゴッホ展、リソルジメントの資料を所蔵するヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂などなどを観て、スーパーに寄ってからローマを後にしました。

スーパーの商品も面白いです。フランス製ポッキーの商品名がMIKADOになっていたり、レッドブルのコーラ割りや低カロリー版があったり(しかも日本のより100円程度安い)で、物珍しくて興味を惹かれます。トマト味のポテチが美味しいです。毎日ホテルで摘んでます。



急ぎ足ですがローマ滞在はこんな感じです。文章と同様に実際の観光もかなり急ぎ足でした。ローマは繁忙期の京都みたいな混み具合です。次は冷静と情熱のあいだ。ゆっくりぶらぶらするのはフィレンツェまでとっておこうと思います。


それではまた、アリーヴェデルチ

卒業旅行4,5日目(イタリア・ナポリ近郊)

ぼんじょーるのいたーりあ!


本日はイタリア南部、ナポリより南東のサレルノよりお送りいたします。ここ2日間はナポリ周辺のポンペイ、ソレント、カプリ島サレルノに滞在しました。この辺りは物価も景色も人柄もよく、バカンスに適するでしょう。さすがにこの時期は閑散としていますがね。ただサレルノだけは治安の悪さが西成区より酷いのでオススメしない。


またイタリアが荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 Part.5 黄金の旋風』の舞台であることは公然で周知の事実でしょう。せっかくなので、ジョジョの聖地を巡りながら各地で記念のジョジョ立ちをキメております。一日一立ちです。



さて、ナポリへはパリ南部のオルリー空港より、LCC(格安航空会社)のeasyJetを利用してナポリのカポディキーノ空港へ行き、その後空港からのシャトルバスでたどり着きました。朝4時起床で何とか間に合いました。


いやあ、LCCは慌ただしいです。少し早めに着いたものの、手続きの受付がなかなか開始されず、チェックイン締切の10分前にやっと。搭乗手続きも同じくギリギリの10分前に始まり、内心焦りながら搭乗した。こういうのも嫌いじゃないんですけどね。


ナポリに着いてからはトレニタリア(国営鉄道)ではなく、私鉄のチルクムヴェスヴィアーナ鉄道でポンペイ遺跡へ。ポンペイは誰でも知っているであろう、ヴェスヴィオ火山の噴火で灰に埋れた残骸の街ですね。神殿の様式はいかにもギリシアから渡来したといった感じの無骨なものです。


ここにはボスの指令により鍵が隠されています。隠されていると言っても犬の絵のところにあるのを当然知っていますから、全く隠れてはいないですね。イルーゾォにも見つからず、すんなり鍵を見つけました。


夕方から訪れたソレントは異国情緒漂う素敵な街でした。カンツォーネ帰れソレントへ』でご存知の方も多いでしょう。とりあえずビザが安くて美味いのと、ホテルの受付のお姉さん方が優しく美しくていらっしゃるので文句はありません。あ、施設も気の利いた作りで感激でしたよ。



翌朝はカプリ島へ。船は二隻ありませんでしたがとりあえずギャングスターダンスを踊っておきました。どこかでズッケェロが苦しんでいることでしょう。ザマミロ&スカッとサワヤカ!(ウソ。本当は無理な態勢をとって脚が痛かった)


一応のメインイベントは青の洞窟ツアーです。日本人観光客が多いためか、料金設定はひどいボッタクリです。ツアー代金払って洞窟の手前まで舟で行って、そこで更に入場料もとっちゃうぞーってもうね、アホかと。バカかと。ここまで来て引き下がれもしないし払ったよ、クソックソッ!


確かにアホの、いえ青の洞窟の内部は綺麗でした。ちょうど晴れて日が差し込んだおかげで、観られる確率の低いこの時期にも観ることができました。添乗員のフニクリの歌声を聴きながら観る青の洞窟はサファイアの輝きです。


それから暫くして、ナポリ南西のソレントから南東のサレルノへバスで行きました。アマルフィ海岸ってこの辺りだったんですね。移動時間が予期せぬ風光明媚鑑賞タイムと化しました。棚から牡丹餅、崖からアマルフィです。


さっさと治安の悪い宿泊地のサレルノを抜け出してローマに逃げるんだよォー! 昨日の夜も怪しい男2人から逃れて来ました。何の脈絡もなく因縁つけられて警察呼ばれても困ります。



それではまた次の場所でお会いしましょう。この文章の下書きを書いたのがバス酔いでテンションがアレな時なのは気にしないでくださいね。


ではではアリーヴェデルチ

卒業旅行2,3日目(フランス・パリ)

めるしーぼーくー


どうも、現在は4日目の早朝で、イタリア南部ナポリから少し離れたソレントの街に居ますが、パリの滞在記を更新します。


写真は2日目の朝、パリ市内の喫茶店でパニーニとピーチパイをしばきながらパリでの観光計画を練っているところです。パニーニは食べ応えがあって満足したものの、ピーチパイはその気狂いじみた甘ったるさに吐き気がするほどだった。


パリはとにかく物価が高い。現在いるソレントのようなイタリアの、しかも地方と比べるのも間違っている気がするけれど、比べざるを得ないくらい高かった。わかりやすくマクドナルドの値段を用いると、ハンバーガー120円、チーズバーガー190円、ドリンクS(少し量は多い)が170円と、総じて高い。缶ジュースを飲むのにも250円取られていては、おちおち喉の渇きも潤わせない。


それと、道行くパリジャンたちは大阪人以上にせっかちに思えた。地下鉄構内の歩く歩道を、自分たちが追いつけないほどの速さで駆け抜けて行くパリジャンたちは、優雅なイメージと違うものだった。地下鉄の張り巡らされ具合や、その乗客数も東京のそれに近いものを感じた。


と書くとパリに対する印象が悪いかのようだが、観光名所に対してはいい印象を抱いている。基本的に係員は親切で気持ちよく観光を始められるし、何より見所が多く見応えもある。



パリでは主に2箇所、ヴェルサイユ宮殿ルーブル美術館に時間を費やすことにした。いずれも敷地が広く見所も多いため、数時間やそこらでは観きれないと判断したため。事実、どちらも朝から観光を始めて夕方まで時間を要したので正解だったと思う。



ヴェルサイユ宮殿の見所は、宮殿内の造りと装飾、広大な庭園の敷地、マリーアントワネットが暮らした小トリアノンですね。小トリアノンの鑑賞の際には池田理代子ベルサイユのばら』の記憶が蘇ってきた。ちなみにフランスに関するの知識は『鬼武者3』と『ベルばら』によるものしか持ち合わせていない。


宮殿の外観や庭園は大き過ぎて写真には入りきらない。こればかりは実際に観るしかないんだけれど、いかんせん敷地が広い。音声ガイドを全部聴きながらだと、宮殿内を観て回るだけでも丸一日を要するだろう。庭園を観るなら5ユーロ程度で園内を周遊する乗り物に乗れるので、足腰に自信が無い人にはおすすめ。自分たちは頑張って歩き回った。


宮殿内では、天井に描かれたギリシア神話や史実上の英雄たちの絵画が特に印象に残っている。これ全て王家の権威が神から託されたものだと主張するためのプロパガンダなんだなと。よくよく考えたら芸術も神話も歴史も、いつの時代でも政治利用されている、というより政治はあらゆるものを利用するんだなあという印象を抱いた。


この他にはノートルダム大聖堂エッフェル塔凱旋門の辺りにも行きました。既にヴェルサイユ宮殿の散策で脚が棒になっていたため、この辺りは軽く観て流しただけです。




2日目はルーブル美術館です。ここはヴェルサイユ宮殿以上に時間を掛けてゆっくり観る必要がありそう。建物の広さはヴェルサイユ宮殿よりも大きく、更に一部屋ごとの展示物の数もヴェルサイユの比ではない。テーマを絞って重点的に鑑賞し、それ以外はざっと流し観る程度にしないと、とても一日では観て回れない。


自分の場合、古代オリエント・エジプトに絞って音声ガイドを聴きながら鑑賞していたら半日が過ぎていた。古代ギリシア・ローマはほどほどに観て、膨大な数の絵画や彫刻、工芸品のほとんどは流し観ただけ。それで一日が終わった。


音声ガイドが充実しすぎているのが悪い。「よくわからない。なんだろうこれ」って作品のガイドを聴いていたら時間の経過なんてあっという間。よくわからないものだらけの紀元前の中近東なんて気になって気になって仕方がない。古代だと像の各部位が何らかの象徴になっていてかつ無駄な部分がなく、ストレートに製作者の意図が伝わってくるから、あまり頭を使わなくていい(笑)


有名どころでは、ハンムラビ法典、アメンヘテプ4世(アクナテン)の像、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケモナリザ、ナポレオンの頂冠式(ヴェルサイユ宮殿のものとは別)辺りは誰でも一度は観たことがあるはず。絵画には疎すぎて有名どころと言われるものすらわからないものが多かったが。絵画が好きな人なら少なくとも3日は楽しめるんじゃなかろうか。


それでも絵画だと、個人的にはカラヴァッジョの『聖母の死』が面白かった。一般的に聖母マリアを描く際の特徴が一切描かれておらず、彼女をただの一般人としてその死を描いている。しかもそのモチーフになったのが、当時のティヴェレ川で水死した娼婦だと言うから、それはそれは反感を招いたのだろうなと。時代背景がわかると面白いことがわかった。



以上でパリ滞在記は終わりです。この日は翌早朝に飛行機の搭乗が控えていたので、早々と床に就きました。もっと芸術に興味が湧けば再びパリに、パリ以外の見所を知ればいずれパリ以外にも行ってみたいです。ひとまず今回はここで終わり。次回からはイタリア滞在記となります。ではでは。

卒業旅行1日目(移動日)

ぼんじゅーるぼんじょーるの


卒業旅行1日目。初日は成田空港〜ミラノマルペンサ空港〜パリシャルルドゴール空港とひたすら移動するのみ。15時間の移動で足がパンパンに膨れ上がってたよ。靴が入らないです。移動日の宿命。


体力はまだ大丈夫としても、大変なのは空港やホテルでの受け応え。2人とも英語能力がアレなおかげでなかなか意思疎通ができない。フランスのホテルの受付の人なんてフランス語混じりで更に何言ってるかわかんないし。辿々しい英語と身振り手振りで乗り切ってる。それでも何とかホテルに到着できて助かった。


イタリアもフランスも思っていたより気温が高くて過ごしやすい。現地時間20時以降で12℃って日本と変わらない程度かそれ以上だよね。自分は寒がりなので非常にありがたい。


2日目はパリ市内から少し離れたヴェルサイユ宮殿に行ってきます。パリ中央の駅から電車で南西に40分くらいの距離らしいです。ついでにホテルまでの帰り途にエッフェル塔凱旋門も観られたらいいな、という算段で。モンサンミッシェルは距離が遠すぎるので諦め。


あとPocket WiFi SSIMフリー)用に現地のSIMカードを調達しようかなと。今はiPhoneでホテルのWiFiを使っているけれども外では当然使えないし、かと言って海外料金で膨大な請求金額を目にするのも嫌ですし。おぬ曰く、端末の通信方式に合ったSIMカードを買わなきゃならないそうなので、よく見て買ってきます。たぶんvodafoneでフランスもイタリアも共通でいけるんじゃないかな。


そんな感じでパリをぶらぶらしてくる予定です。計画通りに進めつつも、途中で予期せぬ発見があればよし、と。まずは安宿の朝食ビュッフェがいかなるものか見てきましょう。大きな期待は抱かずに。



ちなみに、この卒業旅行は前半と後半に分かれています。前半はTwitterの某友人(おぬ)と男2人で行くフランス・イタリア2週間(そのうち12日間がイタリア)の旅。後半は大学の部活の連中と行くトルコ1週間の旅。併せて3週間の卒業旅行です。


こんな感じでiPhoneWiFiを利用しながら気まぐれに日記を書くつもり。ただし継続が苦手な自分がいつまで続けられるかは定かではない。


では今日はこの辺りで失礼します。

おSHAREイズム

 ブログを放置して早くも3ヶ月となりました。書こう書こうと思いつつ、つい長文を書こうとしてしまい重い腰が上がらない。短い文章でもいいのにね。所詮、自己満足なのだから。


 今日はレイチェル・ボッツマンの『シェア 〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略』を読みながら思ったことを書くだけです。書評ではないので、内容の紹介はほとんどありません。ご期待には添えられません。

「シェア」って、つまりどういうことだってばよ!

 「シェア」とは文字通り、何かを「共有すること」を指します。そして主語や目的語は何でも良いのです。ウォール街のビジネスマンでも農家のおっちゃんでも誰でも良くて、モノでもサービスでも何でも良いのです。わかりやすい例を挙げれば、カーシェアリングがそうですね。わざわざ一人一台の車を所有するよりも、複数人で一台の車を所有したほうが、経済的にもお得じゃないか。と、当たり前のことを言っているのです。


 ここでのポイントは、所有することの価値が低くなったということです。大量消費の時代には、車を所有することは社会的なステータスとして高い価値がありました。しかし最近の若者を見ればわかるように、現代においては車を所有してもステータスにならないどころか、むしろ古き時代の象徴として映るかもしれません。


 車はようやく本来の価値である「移動手段」として認識され始めたのです。これが帯にも書かれている「〈所有する〉から〈利用する〉へ〉という話です。我々はドリルが欲しいのではなく、穴を空けたいのです。

じゃあなぜ「シェア」が起こり始めたの?

 シェアが起こるようになったのはWeb2.0以降、SNSソーシャルネットワーキング・サービス)のようなオンラインコミュニティの利用が一般的になってからです。それ以前にもオンライン上のコミュニティは沢山ありましたが、現在のように誰もが利用するという規模ではありませんでした。


 非常に多くの人と接触する機会のあるオンラインコミュニティでは、従来は結び付かなかったであろう共有のニーズが、いともたやすく結びつきます。かくいう自分も某SNSが無ければ、京都でSBR最新刊の考察を行う某会には出会わなかったでしょう。オンラインコミュニティは、非常にニッチなニーズを結びつけることがあります。


 従来こういった共有のニーズは、リアルの狭いコミュニティの中でしか満たせませんでした。ご近所付き合いで主婦が醤油を共有したり、町の大工さんに屋根の修理を手伝ってもらったりする(サービスの共有)のもシェアですね。当然、ご近所や町内でニッチな共有のニーズを満たすことはできません。


 オンライン上のコミュニティは、ご近所や町内の付き合いの規模を、一気に世界レベルに引き上げたのです(と言うと大袈裟か)。やっていることは基本的にご近所や町内の付き合いと同じですが、規模が大きくなれば、それだけ共有のニーズが結びつく可能性も高まります。


 考えてみれば、共有は合理的です。まだ使えるものを要らなくなったからと捨ててしまうより、それを必要とする誰かに贈与してしまったほうが、社会全体で見て無駄がありません。だからバザーやフリーマーケットがあるのだろうし、ご近所や町内の助け合いがあるのでしょう。


 オンラインコミュニティは現代に物々交換を復活させるかの如く、個々人のニーズを満たせる「場」を作ったのです。

まとめとか余談とか

 番組の最後にプレゼントのお知らせが(ry


 本当にいい時代に生まれたと思います。今までは出来なかったことの多くが、出来る時代になったのですから(そうは言ってもまだまだ出来ないことがたくさんあります。二次元の壁を超えられないですし…)。

 
 日本でも先日、Twitterと連動してモノやサービスの贈与を行えるLivlisというサービスが始動しました。自分も早速、見知らぬ人にクリス・アンダーソンの『FREE』を贈与してみました。なんとなく気持ちがいいですね。


 とは言え、悪意あるユーザーが居ないわけではないので細心の注意を。新しいサービスが登場すれば、必ず未成熟なシステムの穴を突いて利益を得んとする輩が現れます。こういったサービスをご利用の際は、くれぐれも過信なさらぬようお気をつけください。


 まだまだ日本ではシェアを行うサービスは少ないですが、これから増えていくことを期待しています。おそらく今食い付いているのは、いわゆるアーリーアダプターだけでしょうね。


 それではプレゼントのお知らせです。本稿で取り上げた、レイチェル・ボッツマンの『シェア』をシェアします。この記事を読んだ奇特な方で、なおかつ『シェア』を読みたいという方が居られましたら、Twitterにて @totoroz までリプライを飛ばしてください。先着一名に『シェア』をシェアします。手渡しでも発送でもどちらでも可能です。誰からもリプライが来なければ大人しくLivlisに流します。


 それでは、この辺りで失礼します。ありーヴぇでるちー

銀と金

http://www.nhk.or.jp/wonder/program/46/index.html


さきほど、20時より放送されていたNHK銀閣寺特集を観ました。
今回はその特集を踏まえて、金閣寺銀閣寺を比較しながらその魅力を紹介します。


金閣寺銀閣

京都の観光地と言えば、まず挙げられるのが「金閣寺」と「銀閣寺」。
関西圏外の出身者ならば、修学旅行にて銀閣寺はともかく、金閣寺を訪れた方は多いでしょう。若い人に金閣寺が好まれやすいのは、金閣寺はその名の通り金箔が貼られているのに対し、銀閣寺には銀箔が貼られていないから。彼らは銀閣寺に落胆してしまう。一方きらびやか金閣寺の魅力は非常にわかりやすい。しかし歳を重ねれば、銀閣寺の垣や庭園の侘び寂びを感じ、目に見えない情緒が非常に魅力的であることに気付く。一方の金閣寺にはケバケバしさを感じてしまう。


これが金閣寺銀閣寺を見た者の辿るセオリーです。
しかし自分は金閣寺を擁護したい。金閣寺だって外面だけでなく内面の魅力を持っています。

それは後々語るとして、まず金閣寺銀閣寺について整理しておきましょう。


金閣寺室町幕府3代将軍足利義満により建立された「鹿苑寺(ろくおんじ)」の通称。
銀閣寺:室町幕府8代将軍足利義政により建立された「慈照寺(じしょうじ)」の通称。


恐らく、広く一般に知られているのはここまでだと思います。
ちなみに鹿苑寺慈照寺も、同志社大学今出川キャンパスの横にある臨済宗相国寺の境外塔頭です。塔頭というのは会社組織で言う「子会社」のようなモノだと思って下さい。
また、以後「金閣寺」「銀閣寺」と「金閣」「銀閣」の定義を明確に区別します。


金閣金閣寺鹿苑寺)の境内に建立された「舎利殿(しゃりでん)」を指す。
銀閣銀閣寺(慈照寺)の境内に建立された「観音殿(かんのんでん)」を指す。


それでは金閣銀閣の“内面”の魅力について、まずは放送された銀閣特集より知識を拝借します。

足利義政銀閣から何を見たか

銀閣の正面に位置する山は「月待山(つきまちやま)」と呼ばれ、銀閣の建立当時はその山上から「月」がその姿を覗かせていた。足利義満はその月を銀閣の内部より眺めていたという。しかし月待山に見える月は、銀閣の内部からではほんの短い間しか眺める事ができない。そこで足利義政は月を直接見るのではなく、正面の「錦鏡池(きんきょうち)」に反射させる事を思い付いた。反射した月はちょうど銀閣の第一層から眺める事ができ、池に浮かべられた石とピッタリ重なった。第一層から見えなくなれば、今度は第二層からその続きを眺めた。第二層からも見えなくなれば、別錬に移動して月を眺め続けた。


戦争においては無能、伝統文化においては異能とされた足利義政は、月を眺めた。

足利義満金閣から何を見たか

二層構造の銀閣に対し、金閣は三層構造で造られている。


第一層は「寝殿造(しんでんづくり)」、平安時代の公家住宅の造り。
第二層は「書院造(しょいんづくり)」、鎌倉時代武家住宅の造り。
第三層は「禅宗様(ぜんしゅうよう)」、室町時代の、足利の時代の造り。


つまり、公家よりも武家よりも上に位置する“足利家の天下”を象徴している。しかし義満は驕っていなかった(と見せかけた)。第三層より更に上、金閣の屋根には「黄金の鳳凰像」を起き、自身が最上ではないとした。

そして、足利義満金閣から何を見たか。金閣の正面に位置する「鏡湖池(きょうこち)」には、複数の島がある。その一つが「葦原島(あしわらじま)」で、日本列島を表している。そう、足利義満金閣の第三層から日本を見下ろしていた。それだけではなく、視点を上げれば境内の林の隙間より、京の都を一望することが出来る。足利義満は日本列島と同時に、京の都をも見下ろしていた。
その他にも、誇大に見せる為に遠近法が使われていたり、極楽浄土を目指す舟と川を模した庭園が造られていたりなど、金閣には境内全体で「権威を見せつける」工夫が施されています。


南北朝を統一し、幕府の権力を確立させた足利義満は、日本を見下ろした。


浮世離れした義政と権威に固執した義満

こうして見ると、銀閣金閣には外面の魅力以外にも内面の魅力が存在します。同じ足利将軍といえども見るものが対照的ですね。
もし今度、金閣寺銀閣寺を訪れることがあれば、建物の中に入ったつもりで2人の足利将軍が上層から眺めた景色を想像してみてください。


今回は以上です。それではまた。